柄谷 行人 コロナ。 思想家・柄谷行人が、コロナ禍で揺れる世界に語る、新たなる社会変革の可能性|じんぶん堂

もっと、片隅にボロボロのマンガ本が並んでいた昭和の喫茶店のようものも、復活してほしいのである 選ばれたい彼らに選ばない籤引きの組織体を主張したのはそういう彼らへの「批評」にも見えた
そこで連塾や織部賞やトークイベントのステージなどでは、そこに音や映像やナマのゲストの出入りを加えたけれど、まだまだなのだ 歌石の暗い洞察は、宗教や科学 精神科学をふくむ によってすりぬけてしまうことのできない問題にとどいており、また彼自身宗教にも科学にも重荷を預けようとはけっしてしなかったのである
それについて簡単に説明しておきたい イシス編集学校の諸君がさまざまにかかわって仕上げたので、感激一入であろう
当の本人は面映ゆくてもぞもぞするしかないのだが、各地のイシス編集学校師範・師範代たちがすばらしいボランティアを推進して、各書店の店長や担当者とみごとなコラボを展開してくれている だいたい書店はサービス業だと思っていないようだし、書店員は「いらっしゃいませ」も「ありがとう」も言わない
よって、 「ポストコロナリズム」と名づけたわけですね つまり、労働組合や政党に依拠しない「アソシエーションの連合」として行なうことが可能である、と
これまで20冊が刊行されてきたが、おそらくこの倍はつづくだろうと思う 私に独自な点があるとしたら、「資本と国家への対抗運動」を二つに分けて見たことだ
つまり、一つは「内在的」な対抗運動、もう一つが「超出的」対抗運動である ヒクソン・グレイシーに落ちて、その直後に引退宣言したのが船木の奥行きをつけたのだろう
そして、 古井氏のウィルスに対する認識を表象するもう一つの作品が、 第七巻『楽天記』と、柄谷氏は指摘します そこを必然ということ自体がもちろん未来のことだから信念でしか本当はないのだが、そこを必然と断じ行動することに意味があるというダイナミクスを、逆にいえば危険性をマルクス主義は持っている
それぞれよくよく練ったのだろう それは、 「 僕たち人間が、今回場当たり的にウィルス感染に遭遇したわけではなく、むしろ、僕たち人間は常に世界中に拡がっているウィルスの包囲網を、偶然、くぐり抜けて来たんだ」 という認識です
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もっともそういう乱暴しないで、何をどう読んだのか、そのプロセスを多少は実況しようというのが千夜千冊だったのである。 もともと、 文芸批評家としての柄谷氏は、 小説家の 中上健次氏と併走してきたイメージがありますが、 時折、古井氏との対談や作品への批評も書いていました。 7月 148頁 っと。 ページ数はわずか4ページ。 それは民進党の蔡英文政権の手柄でもあるが、中でもデジタル大臣であるオードリー・タン(唐風)氏の存在は大きいと思う。
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